北枕と地磁気

「北枕はよい」には科学的根拠はない


 日本に一般に広まっている風水では以下のように言われることが多いようです。

「北枕で寝ると金運がよくなる。さらに、北枕は地磁気の関係で血液の循環がよくなることが科学的に証明されており、そのためぐっすり眠ることができる」。

 一方、インド風水ヴァーストゥでは、「北枕は絶対に避けろ」というのが鉄則です。科学的に見てどちらが真実でどちらが迷信なのでしょうか?

 まず本当に「血液の循環がよくなるとぐっすり眠ることができる」のでしょうか?

 よく知られているように睡眠中は交感神経優位から副交感神経優位に変わります。具体的には、日中は呼吸と心拍は速く、血圧と深部体温は高いのですが、睡眠中は呼吸と心拍は遅く、血圧と深部体温は低くなります。指先体温については入眠前後が最も高くなり、その後、深部体温と同様にゆっくりと下がっていきます。

 冷え性の人が眠りにくい理由は、手足などの血行が悪いために深部に熱がこもって体温が下がりにくいためといわれていますので、快眠のためにはたしかに入眠前後に手足の血行をよくして手足の体温を上げることが大切です。これによって一時的に深部体温は上昇しますが、しばらくすると低下していきます。つまり、「睡眠中に血液の循環がよくなる」ことは、交感神経系を刺激しない範囲内においてはよいことだと思います。

 しかし「血液の循環がよくなる」ということが、もし「血圧と体温が高くなる」ことを意味しているのであれば、入眠前後はともかく、しばらくしたあとはむしろ眠りにくくなるのではないでしょうか。睡眠中は血圧と体温を低くする必要があるのです。もし、日本で一般に広まっている風水のいうとおり「北枕は血液の循環がよくなる」のであればむしろ睡眠には最悪です。「頭寒足温」説にしても同様です。今すぐ北枕はやめた方が無難でしょう。

 それにそもそも「地磁気の関係で血液の循環がよくなり、ぐっすり眠れる」ということを証明できる臨床データが本当にあるのでしょうか。もしあるならどなたか是非教えてほしいところです。科学的根拠がないならそういえばいいし、あるならデータを示すべきでしょう。科学的根拠があるといいつつも根拠を示さないまま、広まってしまうことだけは、注意すべきでしょう。

 以上のように、日本に一般に広まっている風水の原則「北枕で寝ると金運がよくなる。さらに、北枕は地磁気の関係で血液の循環がよくなることが科学的に証明されており、そのためぐっすり眠ることができる」には、いまのところ実証されている科学的データとしての根拠はなさそうです。


深部体温と表皮体温の推移(出典:Netherlands Institute for Amsterdam).jpg深部体温と表皮体温の推移(出典:Netherlands Institute for Amsterdam)

地磁気は人間の健康に影響


 それでは地磁気と人間の因果関係についてはどうでしょうか。

 結論を先に言うと人間の健康と地磁気には因果関係が十分考えられます。各国の研究者が地球の地磁気の乱れと自殺やうつとの間に相関関係を発見しているからです。

 例えばロシアの研究者Shumilov氏が1948年から1997年の地球の磁場の活動を調べたところ、磁場の活動には毎年3回のピークがあることを発見しました。一つ目は3月から5月、二つ目は7月、三つ目は10月です。さらにこの研究者は磁場の活動のピークと北ロシアのある都市の自殺数のピークが一致することを発見ました。また胎児の心拍数とも関連があることも発見しました。

 2006年に発表された別の研究でも地磁気の活動と人間の健康が関連性を持っている可能性があるということを結論づけています(特に高緯度地域)。この研究を行ったRycroft博士(元欧州地磁気学会の会長)は、人口の10から15%が地磁気により健康上の影響を受けていると述べています。

 さらにオーストラリアの別の研究では、1968年から2002年の51845人の男性と16327人の女性を対象に行われ、やはり同様の結果がでたそうです。また、南アフリカの研究でも自殺と地磁気の活動の因果関係を示唆しています。

 また、英国の1994年の研究によると、うつで病院を訪れる男性の数は太陽活動の活発化による磁気嵐が発生した2週間後に36.2%増えたそうです。

 米コロンビア大学のPosner教授は、磁気嵐による地磁気の乱れが、磁場に敏感な脳の一部分で体内時計の機能を持っている松果体を混乱させ、それが季節性情動障害を引き起こし自殺の増加につながる可能性を指摘しています。

 もちろん、これからも更なる臨床データの蓄積が必要でしょう。しかし、以上のように、地磁気と人間の健康との関連性は高いようです。


牛やシカも地磁気を感知している可能性が高い


 インド風水ヴァーストゥでは「北枕は絶対避けろ」と冒頭で書きましたが、今年の夏、興味深い論文が発表されたのでご紹介します。ドイツとチェコの研究者のチームが米国科学アカデミーの紀要に発表した研究によると、放牧中の牛や休息中のシカをグーグルアースの衛星写真で調べた結果、その多くの場合、北か南を向いていたということです。これは何を意味するのでしょうか?

 より正確には牛などが向いていた方位を平均すると地軸の南北より少しずれた地磁気の南北に近かったそうです。独デュースブルグ・エッセン大学のBegall博士らこの研究者たちはその他の自然条件を考慮したとしても牛やシカが地磁気を感知している可能性が十分あることを指摘しています。

 これまで、渡り鳥、回遊魚や一部の小型哺乳類は地磁気を感知することが知られていました。例えばイスラエルの研究者はある種のねずみが地磁気を使って移動することを証明しています。しかし、大型哺乳類ではこのドイツとチェコの研究者の発見が初めだそうです。


Cattle partake in some directional grazing.jpg出典: BBC


北を向くことと消化・休息、南を向くことと睡眠という関係


 チェコの例では2種類のシカについて現地調査し、草を食べたり休んだりしている時の向きや雪の上で寝た跡を調べた結果、大半が北か南を、より正確には過半数が北を向き、3分の1が南を向いていたとのことです。

 牛もシカも反芻動物で、牛の場合は1日の約半分を消化・休息に、3~4時間を睡眠にあてています。もしかしたら、北を向くことと消化・休息、南を向くことと睡眠という関係があるのかもしれません。

 ドイツとチェコの研究チームは「今まで牛飼いや狩人が気づかなかったのは驚きだ」と言っているようです。ただ、牛と特別な関係にあり、後年神聖なものとして扱い、かつ現代よりも身近に自然の法則を感じる機会の多かった古代インド人が牛のこうした性向を経験的に知っていて、これが人間にも当てはまることも知っていたのではないか、と仮説を立てることも出来るかもしれません。むしろその方が自然ではないでしょうか。

 ちなみにインド風水ヴァーストゥでは「北に頭を向けて寝てはいけない」と書きましたが、「南を向いて食事をしてはいけない」という原則もあります。人間の牛も同じ大型哺乳類ですから、何らかの関連性を想像したくなります。

 研究者たちはこれから羊、ヤギ、馬なども研究の対象に加えるそうです。

心地よい方位であることは間違いない


 いずれにせよ、牛やシカにとって消化・休息によい方位が北で、睡眠によい方位が南であるかどうかは、実証データがない現状では真実であるか否かはわかりません。しかし、牛やシカが無意識に北や南を向いているということは、彼らにとってそれが何らかの理由で心地よい方位であることにほぼ間違いないでしょう。

 それでは人間はどうでしょうか。将来は研究対象を人間にも広げてほしいですが、「意識」がある(強い)人間を対象に実証するのはかなり難しいようです。しかし、比較的大型の哺乳類である人間にも現代では忘れ去られているものの彼らと同じように無意識に心地よい方位があることが証明できたら素晴らしいことです。

 仮にそれが事実としても、複雑な環境下にある人間にとっては極わずかな影響しかないかもしれません。しかし、それをうまくしかも毎日利用するなら、その蓄積による人生におけるポジティブな効果は計り知れません。「継続は力」と言いますから。

 インド風水ヴァーストゥでは「北に頭を向けて寝てはいけない」、「南を向いて食事をしてはいけない」とされています。私にはドイツとチェコの研究者の研究結果とヴァーストゥとは何らかの関係があるような気がしてなりません。この分野は研究はまだ始まったばかりです。今後に期待しましょう。



まとめ


「北枕と地磁気」についてまとめてみると以下のとおりとなります。

①北枕は睡眠のために好ましいというのはばかばかしいほど科学的根拠はない
②地磁気は人間の健康に少なからぬ影響を与えていることがわかってきた
③例えば地磁気の乱れは、人間の体内時計をつかさどる松果体を混乱させ、うつや自殺者の増加と相関関係がある可能性が高い
④牛やシカも地磁気を感知している可能性が高い
⑤その理由は彼らの多くが地磁気の北や南を向いているから
⑥北を向くことと消化・休息、南を向くことと睡眠という関係が牛やシカにはあるのかもしれない
⑦少なくともその方位が彼らにとって心地よい方位であることは間違いない
⑧同じ大型哺乳動物である人間にも同じことがあてはまってもおかしくはない
⑨インド風水ヴァーストゥの原則である「北に頭を向けて寝てはいけない」、「南を向いて食事をしてはいけない」とこれらは合致する
⑩いずれにせよ、更なる研究が必要


(参考文献)
“Magnetic alignment in grazing and resting cattle and deer”, 米国科学アカデミー紀要, 2008年8月25日
“Cattle shown to align north-south”, BBC News, 2008年8月25日
“Does the Earth's magnetic field cause suicides?”, NewScientist, 2008年4月24日